Cool Japan Journalについて

我々は日本橋地域の
「国連UNESCO無形文化遺産」
登録を応援します。

現在の日本の礎は
まぎれも無く徳川家康が築いた、
パクストクガワーナ(平和な徳川時代)
と呼ばれる「江戸時代265年」です。

我々Cool Japan Journalのミッションは、
全国に眠っている有形・無形の
無数の江戸時代の財産を、
「歴史」「文化」「伝統」「経済」「政治」
「芸術」「衣」「食」「住」に分けて掘り下げ、
国内外の方々に紹介することです。

さらに、全国のインバウンド及び
アウトバウンドを訴求する
ショップ・企業・新規事業者・
老舗事業者など、あらゆる
ビジネスフィールドの方々の
クールジャパンビジネスを紹介します。
また、読者並びに会員の方々の
ビジネスアイデア・江戸にまつわる寄稿を
誌面で展開してまいります。



■媒体名:
「Cool Japan Journal」

■サイズ :
A4、表紙P4、本紙P68、オールカラー、無線綴じ

■発行部数 :
8,000部

■偶数月の10日発行

■定価 :
800円(税込)
創刊号、2号1,000円(税込)

■編集スタイル :
毎号SpecialEdit.スペシャル特集を中心に全国のインバウンド及びアウトバウンドを訴求するショップ・新規事業者・老舗事業者など、あらゆるビジネスフィールドの方々に、あらゆる角度から、最新のクールジャパンビジネスを提供します。

■編集内容 :
宿泊(Stay) 飲食(Food) 娯楽&エンターテインメント(Play&Entertainment) 旅(Tourism)アート&デザイン(Art&Design) お土産&ショップ(Gift&CraftmanShop) ビジネス(Business)メーカー(Product) その他(etc.)

■送付先:
メディア(テレビ、新聞、雑誌)、エンタテインメント企業、官公庁、海外事業を展開している大手企業、有名ホテル&レストラン・ショップetcの厳選されたターゲットに直接送付します。

編集主幹・クリエイティブ ディレクション/古賀 賢治(こが けんじ)

’74に渡米、アーティスト(クリエイティブディレクション・プロダクトデザイン)活動を開始。代表作ともいえる切手のコラージュが、ニューヨーク国連本部のパーマネント・コレクションに日本人として初めて選出される。以降、国連認定の難民救済活動、阪神・淡路大震災被災者に対するチャリティイベントにおいて、国内外の著名アーティストをコーディネートし、チャリティコンサートを企画・開催するなど、国際的な活動を続けている。

特別編集委員/吉田 誠男(よしだ のぶお)

株式会社伊場仙13代目社長。吉田源太郎の次男として、東京都中央区日本橋小舟町に生まれる。株式会社伊場仙は徳川家康と共に江戸に上がった浜松の商人、伊場屋勘左衛門によって創業。当時の屋号伊場屋は初代の出身地が遠州伊場村(現在の浜松市伊場町)であったことから命名。
創業の天正18年(1590)は初代の生まれた年であり、この生誕年を創業としている。

2019.6・7月合併号 Vol.7 よりピックアップ
[特集]聖書と幕末の志士たち

幕末維新の志士たちは幕府を倒す青写真は持っていたが、倒幕の後の国家の設計図を誰も持っていなかった。持っていたのはただ一人、坂本龍馬のみだった。その龍馬の触媒は勝。そして勝の触媒は?隠された幕末の触媒達の秘密を暴くと見えて来たのは…。幕末に起きた突然の武士の世の終焉に、聖書の言霊の存在があったことは広く日本史を学んできた我々日本人にとって驚きである。1549(天文18)年、日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルの存在。鎖国令の発布。切支丹禁止令。そして、文明開化の雄叫びと共に解禁されたキリスト教とテンポの良い西洋化のみが現代人の知識の根底にある。しかし、何故こうも素早く日本が改革を成し遂げられたのか?その根底にあった人間と人間の魂の結び付きを今、解き放つ特集。

2019.4・5月合併号 Vol.6 よりピックアップ
[特集]徳川葵のご紋の秘密

そもそも「葵」とは なんだろうか? なぜに 日本を代表する 「家紋」に なったのか?多くの日本人が疑問に思いながら、それほど注目しなかった。調べていくと、日本の礎がうっすら見えてくる。そして、再確認したのは徳川家康のブランディング戦略の凄さだった。家康の国づくりの4代理念に秘められた、家康の天下泰平構築計画。それを15代の将軍たちが綿々と引き継いで来たのだった。二葉葵から始まる、国の安泰のためのブランドマーク「葵」の持つ意味を今一度噛み締め、世界に二つとない平和な「日本」を再確認する企画である。

2019.2月号 vol.5 よりピックアップ
[特集]江戸の息吹

江戸時代には一般庶民もお代官さまも芸妓衆も皆遊び上手、勤勉で、いかに楽しく仲良く暮らすかがテーマだった。それも争いごとがなくなった天下泰平の世になったからこそ。いま世界にはある種の緊張感が漂っているが、来たる2020年オリパラ東京開催にあたって、我がCJJ誌は「平和の国へようこそ」のスローガンをご提案したい。一方で、天災が集中したのもまた江戸時代。人々は何を想い、過ごしたか。想像せずにはいられない江戸の四季を切りとる。

2019.1月号 vol.4 よりピックアップ
[特集]江戸の食 その2

先月号に続き「江戸の食」を探る第2弾。江戸時代に食文化は大きく飛躍し、庶民は知恵を働かせて美味しく無駄なく食していた。現在われわれが食べているものを見渡すと、江戸時代に誕生したものが実に多い。長い戦乱の世が終わり膨大な新田開発を行い、田畑の生産力を急速に増大させ次第に庶民の経済力が上がったことが食生活・食文化の向上につながったのだった。当時の食を紐解くと、江戸の庶民の悲喜こもごもが見えてくる。

2018.12月号 vol.3 よりピックアップ
[特集]江戸の食 その1

1721年の人口調査によると、男性の割合は女性のなんと約2倍であった。独り者男性が多かった当時、流行ったのがコンビニ的居酒屋である。1750年前後に出現した居酒屋は1815年ごろに成熟した。その頃の飲食店番付には料理屋・菓子屋・餅屋・蕎麦屋・すし屋など25業種、合計159軒の飲食店がランク付けされており、居酒屋は約1800軒から6軒がランクインしている。現代とほぼ変わらない当時のライフシーンを探る。

2018.11月号 vol.2 よりピックアップ
[特集]日本橋の真実

江戸は、一本の木造太鼓橋から誕生した。世界でも希有な橋である。現在の日本橋は多くの観光客で賑わっているが、そもそもそこに隠された真実は案外知られていない。何故に江戸城に最も近いこの場所に幕府公認の橋を架け(1603)、「日本橋」と名付け、商人のためのプロムナードを整備し、五街道の起点と定めた(1604)のか。今後の日本のインバウンド&アウトバウンド戦略を考える上で「日本橋の真実」を特集として仕立ててみた。

2018.創刊号 vol.1 よりピックアップ
[特集]江戸の秘匿

そもそも江戸は鎖国と呼べる状態ではなかった?実は、長崎、薩摩、対馬、松前の四つの交易窓口が設けられ、オランダや中国などから生糸、砂糖、薬、ガラス製品などを輸入するとともに、情報交換も盛んに行われていたのが実態。江戸時代の日本は鎖国ではなく「海禁状態」だったのでは?つまり、幕府は鎖国で海外との交流を断わりつつも窓口を制限することで情報・貿易を独占しようとしていた(のではないか)。「鎖国」中でも完全に交流を断っていたわけではなかったのである。